『オリエンタリズム』 E. W. Said (平凡社ライブラリー)
はじめに
『オリエンタリズム』(1978、原著)を読んだメモです。論の流れがわかる程度にざっくり。
- 著者のエドワード・W・サイードについて。
キリスト教徒のパレスチナ人としてエルサレムに生まれる。父親はエジプトのカイロで事業を営んだが、サイードはエルサレムにあった叔母の家で幼年期の多くの時間を過ごしたほか、レバノンでも暮らした。アラビア語、英語、フランス語の入り混じる環境で育ったため、3つの言語に堪能となる。14歳になる頃にはヴィクトリア・カレッジに通った。この時期の生活については、自伝『遠い場所の記憶』に詳しい。
アメリカ合衆国へ移住後、学士号をプリンストン大学、修士号と博士号をハーバード大学にて取得した。英文学と比較文学の教授をコロンビア大学で40年間務めた(1963年~2003年)ほか、ハーバード大学、ジョンズ・ホプキンス大学、エール大学でも教鞭を執った。『ネイション』、『ガーディアン』、『ル・モンド・ディプロマティーク』、『アルアハラム』、『アル・ハヤト』などの雑誌に寄稿しつつ、ノーム・チョムスキーらとともにアメリカの外交政策を批判し、アメリカ国内で最大のパレスチナ人とアラブ人の擁護者として発言を続けた。同い年の大江健三郎を評価していた。
晩年は白血病を患って教鞭をとることもまれだった。2003年9月25日、長い闘病生活の末に、ニューヨークで没した。67歳だった。
- 『オリエンタリズム』の学術的評価
主な内容は、著者がスタンフォード大学の研究員だった1975年-76年に執筆された。従来は美術における東洋趣味などを指す語だった「オリエンタリズム」を、西洋の東洋に対する思考様式として定義し、人種主義的、帝国主義的であるとして批判的に検討した。その検討を通じて、人間は異文化をいかにして表象するのか、また異文化とは何なのかという問題提起も行なった。そのための素材として、学術文献だけでなく文芸作品も含めて論じている。
本書で扱う「オリエント」の範囲は主に中東であり、18世紀以降のフランス、イギリス、アメリカ合衆国のオリエンタリズムが分析されている。サイードは、オリエンタリズムを研究することになった動機について、パレスチナとエジプトで育った東洋人(オリエンタル)としての意識をあげている。
序説
この章ではサイードのこの本の中での立場やとった方法が細かく書かれている。
冒頭から本書最大のテーマである「西洋から見たオリエント」という図式をはっきり浮かび上がらせる形。
次いで、市民権を得た学術的な意味での「オリエンタリズム」が政治的にヨーロッパ、とくにイギリス・フランス(植民地支配)に権威を持つようになる歴史的概観。
節を変えて問題設定。
私はオリエントという存在が不活性の自然的事象ではないという問題設定から出発した。
つまりオリエントは西洋によってつくられたものというだけではない、と。
ここで出てくる「ヘゲモニー」とは「主導的地位、指導権」という意味のドイツ語。
三つの限定条件が挙げられている。括弧内は私のコメント。
- オリエントが本質的に符合する現実を持たない観念、あるいはつくられた想定であった、などとは断定してはならない。(その地域には必ず人々が生活を営んでいて文化や思想があるが、それは彼の研究に関係するものではない。彼にとっては「仕事場としての東洋」に関する諸問題のみが議論の俎上に挙がっている。)
- 観念や文化や歴史をまともに理解したり研究したりしようとするならば、必ずそれらの強制力を考えなければならない。(西洋と東洋の間にはまちがいなく権力関係や支配関係といった複雑なヘゲモニー関係が存在しており、それを無視して議論を進めることはできない。)
- オリエンタリズムは虚偽と神話から成り立っており、もし真実が語られるならこれらの虚偽と神話が吹き飛んでしまう、などとは絶対に考えてはならない。(オリエンタリズムの(サイードにとっての)本当の価値はオリエント支配を行った西洋の権力関係にある。)
続く節ではこれらの現実に直面する局面についての検討が行われる。
1.についてはそれが政治的な価値を持つことが人文学上では重要になると。
2.について方法論上の記述がなされている。問題設定のむずかしさやサイード自体がカバーできていない部分について少し言い訳がましく触れられている。几帳面な方だ。
その後外在性の重要性について語るが、ここは「西洋視点でのオリエント」という最大のテーマの再掲と考えてよさそう。本論の構造にまで触れておりつくづく丁寧。
3.はあまり上述の条件とは関係なくサイード自身の話。自分がオリエントの生まれであることや東洋、とくにアラブの人々がおかれている現状の説明など。
序論でこれは多いか。自分用なのでもっと省いていきたいと思います。